青春時代に数年をかけてお付き合いした人がいました。大学卒業後は遠距離恋愛で両家を行き来する関係で、きっとこのまま結婚するものだと思っていました。器用な人じゃなかったけど、正直で友だちおもいでアスリートとしても切磋琢磨する彼は、わたしにとってとても居心地のいい人でした。問題といえばただ一つ、彼が卒業と同時に教員になれず思うように仕事に就けなかったこと。そんな3年目のある日一通の手紙が彼から届きました。「教員になるために婿に入ることにしたからこれで終りにしたい」と。 何度も読み返し状況を理解するのに時間がかかりました。わかったことは、もうあの時の2人に戻ることはないって事実。何故だかあの時、直接会うことも話すこともせず終わったのでした。あまりにも長く一緒にいたので恋愛というより一緒にいるのが当り前だと思っていて、お互いを思いやることなくなっていたのかもしれません。別に嫌いになったわけでもなく、それでも終りにしなくてはならなかった恋。
この時に「愛」って何だろう?と何度も何度も考えました。好きだ!とか近くにいて!とか○○をして欲しい!とか、そういうものではなくて、別れても彼がずっとなりたかった教員になれたことを「よかった!」と思える自分でいることが、二人でいた時間を事実を大切なものとして胸にしまえるんじゃないか。そう簡単に忘れれるほど短い時間ではなかったし、強がっていても前にすぐ向けたわけでもないけれど、あの恋愛をちゃんと自分の人生の一つの大切なものにしたかった。だからこそ、彼が幸せでいることとおなじように自分もちゃんとあの時彼が好きでいてくれたわたし以上の素敵な人になろうと自分磨きを始めたのでした。
早起きをして、掃除をして、洗濯をして、ご飯をちゃんと作って食べて、仕事を手を抜かずちゃんと働いて、当たり前だったことをちゃんとやるようにした。そう過ごしながら月日が流れていき、今の主人と出逢うことができました。あの恋愛で大失恋をして、ちゃんと自分の中で一つの終わりを終わりにすることができ、自分の道を歩めていたからこそ出逢えた主人。
この大失恋をして学んだこと。
好きになるということは、楽しいことだけをしていくんじゃなくて二人で成長するために感情を沢山育むことなんだと氣づきました。そして「絶対」なんてことがないからこそ、今自分の中にあるものをちゃんと大切にすること。そして「愛」は、どんな状況でもその人をちゃんと思い応援できるものなんだということ。それから、愛はなくなるものでも消えるものでもなく、ましてや探しに行くものでもない。
そう、幸せは自分の中に全てあるということも知ったのです。
大失恋ってすっごく苦しいし辛いけど、人をすっごく大きくしてくれます。これだけの感情の中で人を大切にすることを学び、大切な人を愛おしく思う氣持ちも育むことができる。
コミュニケーションが薄いといわれている現代の中、本氣で人を好きになり大切にして自分の感情を大切に育んでいってほしいと思っています。人は人との関わりの中でしか生きて行けれません。だからこそ恋愛はとても大切なことだとおもうのであります。
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