この間の新月のときに、冥想をしていて頭にフッと降りてきた投げかけ。
「全てを失っても手にしたいたった一つのものはなに?」
割とすぐに答えが出た。
ずっとずっとそれって思っていたし、やっぱりそうだよね~。。。 って感じでね。
そして昨日、松本へいく道中であるメッセージが目についた。
「全てを失っても手に入れたいもの」
あれ?! こないだと同じお題やんか。。。
何だかシンクロしてるなぁ~
でもさ、わたしは知ってるもんねぇ~ (^_-)-☆
ってスルーしようとしたその瞬間。。。
何だか胡散臭いその言葉にもう一人の珠江が言うんだよ。
「おいおい、それうそやん!宝と思っていたものは、執着やん!!」
(@_@)(@_@)(@_@)
その宝と思ってる人がいてくれればいいって、ずっと思って疑わなかった、ずっとずっとね。
でもね、
その人がいるのにここのところずっと、わたしは胸が苦しくなるほど辛かった、痛かった、逃げたかった。
これ、おかしくないですか???
宝物手にしているのになんで辛いの?なんで痛いの?なんで逃げたいの?
手にしているなら安心して幸せなはずでしょ?!
その人がいくら不幸でも幸せでも、そこにいてさえくれればいいって思っていた。
それって、きれいごとじゃん!!
良い人ぶって、
誰かに幸せになってほしい。。。
みたいな薄っぺらのものじゃないのか?って。
「目に映るものは全て自分」
ならば、
その目の前の苦しみや痛みは全部自分なんだよね。
宝と思うものを守ろうとしているのは、
自分をちゃんと守ってほしいってことでしょ!
目に見えている、苦しみや痛みをとればいいんだって。
目の前の誰かを何とかしようとするからややこしくなってたんだね。
これがみんなが教えてくれていた
「システム」
とか
「プログラム」
とかっていゆうやつなんやね。
でね、でね
ここからがすっごいこと氣づいたって話し。
もともと一つだった和多志たちは、生まれ落ちた時に右手と左手をもらって握りしめたものをパ~っと広げてこの世に飛び立たせたらしい。
それでもって、人はその両手にあったものを探しに人生という旅を歩いているらしい。
それでついに和多志、
その両手にあるものを、見つけた!!
それってねぇ、
決して失うものでも奪われるものでないってわかったんだ。
いつだったか、尊敬するmasaさんが言っていた。
「僕はある時に、道を歩いていてそれを見ちゃったんだ。わかったから安心して生きていけるんだ。」
って。きっとこれだよ!ってわかったんだ。
「愛だよ、愛! つまり。。。 愛って 和多志だっつーの!」
思考ではわかっていたよ。
沢山の人が言ってくれてたからね。
今日、朝から大掃除をしたんだ。
そしたら、この家の中にはその愛であふれかえっていたよ。
あぁ~、もうすでに全部手にしていたんだなって。
嬉しくて嬉しくてピッカピカにお家を磨いたよ。
家中がいい匂いで溢れています!
だからお掃除大好きなんだな、わたし。
必要な方、お掃除行きますよ~(笑)
ってわけで、
本当に大切なものは 「失うことも奪われることもない」 って話でした。
こんなお話しをする機会を作ろうと決心しました。
名付けて
「お茶べり会」
近く詳細アップします。
お見逃しなく!!!
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