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54年間の感謝

和多志はこの54年どうやって生きてきたのだろう。
大切な大好きな心友がもうすぐ荼毘にふされる。
その時を一人
人生を振り返りながら
彼女…海老原よしえ
を思い過ごしている。

多分この言葉は一つの指針となっていたに違いないと確信。

沢山の友にあい師に出逢い、
沢山の愛を両親・子どもたち・親族・御先祖さまに頂き
イノチを紡ぎ
今日を迎えることができました。

あなたのような強く暖かい光になろう!
そんな人として最期をむかえよう!

……………………
<弟子を教える師匠>
                           師師は言った
                            私が君に教えられるものは 何もない

自分を見せることしか できない

良いも悪いも そのままに見せる

それだけが 私にできること

よく 見ておくといい

君は 幻滅するかもしれない

君は 否定するかもしれない

それでも 私は 

自分の生き様しか 見せられない
                                
生き方とは 感性のことだ

自分が調子よいときの 振る舞いが

自分中心になってやしないか

調子悪いときの 自分の振る舞いが

相手のせいになってやしないか

それを感じとる 感性を磨き

気づいたら修正できる勇気を 起こすこと

それが 生きるためのセンスなのだ
                                
これからの私との時間は 

今の君にとって長いかもしれないが

人生からすれば あっという間だ

3年経って 独立後に 

君は この時間を忘れようとするだろう

しかし、いつか思い出すときがある
                               
人が 人の前で 命をさらすということが

どれほど かけがえのないことだったのか

どれほどの濃密な時間を 過ごせたのか

それを 思い出せるならば それこそが

君の才能をつくっていくはずだ
                                
だから

私にできることは 教えることでなく

君が君になっていく 大切な時間を

いつか ちゃんと思い出せるように 

それが 君の才能になっていくように

命をさらして 生きる姿を見せていくだけだ
                                            
 子は思った
                             
自分が弟子になれた喜びではなく

こんな自分の 師になっていただける

感謝にこそ 報いていかなければ と 
                                                                              
「ある道化師の一日」(2007) 永島慎二

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